雪ヶ谷八幡神社について

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境内散策

庚申塔群

■ 庚申塔群

社殿の左手奥には、大田区文化財の指定を受けた庚申供養塔群がある。これはもと雪ヶ谷村の村民によって村内各所に建てられていたものをのちに当社境内に移されたもので、元和元年(一六八一)から安政四年(一八五七)迄の間に造立された七基でいずれも石造駒型の供養塔である。休日には史跡めぐりの人達が訪れ賑わいを見せている。
昔は庚申の日には夕方から朝まで徹夜して七種の神饌を供え、「猿田彦大神」を祭る。これはもと道教で庚申の夜は、人の体内に居る尸(シ)という虫が人の眠りに乗じてその人の罪過を天帝に告げるというので、徹夜してこれを避けるという信仰がわが国に伝わって変形したものである。

■ 猿田彦命

猿田彦命は、天孫(てんそん)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)の先頭に立って国土の案内をした国津神(くにつかみ)であるが、その異容な面相は神幸祭の先導をする華高の相であり、この霊威に邪神、悪神はおそれ去り、無事行列は進むのである。

横綱大鵬幸喜「出世石」

大鵬関が、まだ納谷と呼ばれていた序二段の頃、当神社の境内で氏子の子供達に相撲の稽古をつけていた。後に、昭和三十四年雪ヶ谷八幡神社社殿の御造営が完成し、初めての節分祭に年男として参加以来横綱に至るまで毎年当神社節分祭に御奉仕をした。
そして異例の出世をとげ、文字通り「心」、「技」、「体」の三位一体を兼ね備え「不世出の大横綱」と称えられた。
横綱大鵬幸喜は「これは雪ヶ谷八幡神社の御加護の賜物である」と感謝し、当神社に『出世石』とかいた書を奉納した。それを、氏子の人々が石に刻み現在の『出世石』が出来た。境内では子供たちが『出世石』に刻まれた「手形」に手をあて、その大きさに驚嘆している。

力石

御社殿左手にある「力石」は村の若者達の力くらべに使われたと伝う。其の重さは約四十貫(約150kg)ある。力自慢の方は一度ためしてみては如何ですか。