雪ヶ谷八幡神社について

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御由緒

ご祭神
誉田別命
(ほんだわけのみこと)
第十五代応神天皇

当社の創建は永禄年中(1558~1569)と誌され、北条左京太夫氏康の臣太田新六郎管内巡視の際、当所に於いて法華経曼荼羅(ほけきょうまんだら)の古碑を発掘し、その奇瑞(きずい)におり八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)を創祀すと伝う。

爾来、元亀・天正戦乱の世を経て慶長・元和の頃、円長寺・長慶寺の創建により別当として二寺臨年に奉仕するところとなる。

旧中原街道沿道髄一の由緒深き神社として諸人の崇敬のもとに、文久3年2月社殿再建の業を起こし、明治3年11月拝殿造営、ついで明治23年再び工を起こし、明治28年11月25日本殿落成遷宮を行う。明治維新後の神仏分離により明治5年村社に列せられる。

昭和二十年五月戦災に依り社殿焼失、昭和三十四年八月現社殿の造営なる。

かくて、氏子崇敬者の赤心のもと、社域の整備復興を見、雪ヶ谷の里の鎮護(ちんご)の神として、茲に四百五十有余年のご神徳をもって現在の盛儀をみるに至る。